Zero-Alpha/永澤 護のブログ

Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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プラハ(フチコバ地区アパートメントの一室)&
モスクワ1990.


Prague et Moscow



なぜか、ある街角に転がっていたディスプレ-に映し出された、差出人不明の贈り物。その光景の読
み取りが始まる。
第一部;光景.・:最も幼い者たちのために
【プロロ-グ】
ゼロ アルファ――あるいは、《隙間/裂け目》との出逢い。
だが、それはどこなのか?

一つの絶対的な始まりの音。
《隙間/裂け目》をうがち、絶えず、増殖していく。

無数の流れの束がまたたき、消える。
それがいつなのか、誰も語らない。

〈私〉は〈それ〉に出逢う。

【問題】
〈我々〉はどこにいるのか?
喜びとともに動く者と、恐怖とともに動く者との、激しく振動するプロセスを包み込んだ差異。
だが、この差異はまだその姿を現してはいない。それをつかもうとする者が、逃走と舞踏のただなか
で永遠に回帰する迷宮と廃虚のプリズムへと巻き込まれ、――コントロール不可能なものが残酷さにみ
ちた問いを放つ。
〈我々〉と《あるもの=X》との目に見えない出逢い。――接近。かすかな、しかし鮮明な予感。そ
してその持続。
破壊と抵抗。抵抗は永遠に続く。
だが、彼方に共鳴する暗黒物質が、無数の〈私〉=〈我々〉を際限なく飲み込んでいく。こうして最も
内に秘められた恐怖、あるいは隷属が絶え間なく生産される。この装置こそが問われなければならない
……。

【未来の記憶の子供たち】
子供たちとは一体誰なのか? 未来の記憶の子供たちとは?
――触発の果てまで達すること。すなわち、絶えざる没落を乗り超える抵抗の経験が、未来の記憶とし
て子供たちの身体に織り込まれる。苦痛と喜びのただなかで力強く笑い、叫び、石を投げ続けること。
彼らの生命は、こうした織物であるだろう。黄昏の中で、街を炎が焼き尽くす。打ち砕かれる頭、そし
て切断される手足。流れ続ける血液。破壊=触発と粉々になった記憶の織物。子供たちの虐殺と再生。
果てもなく繰り返される殴打によって引き裂かれた皮膚が、灼熱の街路の上で赤く焼けただれていく…
…。出来事-抵抗の系列をその都度形づくる力の経験が、はるかな他者との出逢いを誕生させる。そこ
に生まれるのは、彼らをしばりつけ、閉じ込めるあらゆる記憶を引き裂く、《未来の記憶》だ。
 シグナルの交錯。舞踏が始まっている。激しく振動するプロセス。

〈私〉は《隙間/裂け目》の経験となる。



 大いなる政治の季節の到来とともに、
街角のディスプレーに微かな亀裂が走り、
その亀裂の輝きの背後から、
かつてない《砂漠=大地》がその姿を現す。

――プロセスの切断面に、《隙間/裂け目》を組み込むこと。

さくれつする波動とともに描かれる砂漠の白地図。閃光。爆撃。
白熱するプラチナの上で砕かれ、焼かれ、溶解する肉体。〈顔〉は果てもなく歪み、死滅する。問題
の無限反復。すべての身ぶり、情動-触発の変容、あるいは不断の探究作業は、すでに始まっている…
…。
【接近】
前触れであることの危険。目に見えない空間であらわに分離した体と精神を、沈黙の中で残酷さにさ
らし続ける。最も困難な戦い。つまり、どんな目的も先取りすることのない抵抗。この選択なしには、
一切がその生命を失い暗闇の中へと深く沈んでいく。事態は決して停止しない。目に見えないが、すぐ
そこに明らかな影が延び始める。賭けは為された。接近。目に見えない空間。むき出しにされ、引き裂
かれた体と精神を、沈黙の中で残酷さにさらし続ける。前触れであることのさけがたい危険。それは持
続する。透明なテクノロジ-の連鎖。(「――それは、最も内に秘められた記憶の空間で、お前の始ま
りと終わりをあらかじめ抹消するのだ。」) 装置。沈黙。叫び。沈黙。叫び。沈黙と叫びの共存/闘
争。そして光と闇の接近。消すことも、押しとどめることもできないもの。
【実験】
それぞれの空間、例えば真夜中の舗道での色彩の輝きとの出逢いが、〈私〉をさまざまな振動状態の
組み合わせの場にする。出来事。だが一体どこで? この問いに、解答はない。急激な場面の転換。出
来事。〈私〉は再びその空間と出逢うことはない。こうして他者との別れは、この出逢いのただなかで、
その都度肯定される。消すことも、押しとどめることもできないもの。予測への際限のない欲望は死に
絶える。それは自らの明白な死を決して予測することができない。そこにはいつも、疾走だけがある。
駆け抜けること=実験。問題が無限に繰り返されることが、同時に実験を引き起こす。それはただ、そ
こに生まれた。何ものも、それをはばむことはできないのだ。光り輝く夜の舗道の上で、一つの絶対的
な始まりの音が生まれる。それはそこに聞こえる。出来事と表現の交錯。最も美しい音の流れの中で、
終わりのない舞踏が反復される。疾走する舞踏。散乱する夜の破片が、力に満ちたきらめきを繰り返し
ながら、エメラルドの夜明けを招き寄せる。出来事-実験。横断していく風/言葉/笑いに酔い、一杯
の地下水との共存を目指す。

かつてないものとして、ただ一度だけ到来する〈出来事〉。
一体誰がそれに応えることができるだろうか?

―――最も幼い者たちのために。

光景.・:コントロ-ル不可能なものが、〈我々〉の歴史へと残酷さにみちた問いを放つ.

思考の経験は、これまで巧妙にも機能不全の姿をさらし続けてきた。あるものを、きれ
いな被膜で包み込むこと、そしてその上で〈人前〉にすること。それを、《コ-ティング》
という今ではありふれた名前で呼ぼう。いたるところで、《機能不全》というきれいなコ-
ティングがほどこされた、〈我々〉の思考が見いだされた。〈我々〉の思考は、その都度あ
からさまに差し出された《コ-ティング》に包み込まれた残酷さとともに、深い暗闇の中
に閉ざされ続けてきたのだ。だが、ようやく〈私〉はある別の声を聞き始める。〈私〉に亀
裂をうがち、〈私〉を引き裂きながら、あるものが語り始める。〈私〉はばらまかれた《触
発ファクタ-》のきらめきになぜか出逢い、その沈黙をかろうじて聞き取り、書き留めて
おくだけなのだ。(だから、〈私〉はあの超年代物糸巻きマニュアル無言電話の親しい友達
でもある。) ここで〈私〉のために用意される場面は、さしあたりは次のようなものだ。
つまり、
 永遠に回帰するそれぞれの迷宮と廃虚のプリズムに組み込まれた、ごくありふれた準-サ
ラリ-マンの逃走=舞踏。

【変換の問題――恐らくは、旧暦通称《中央防波堤裏側絶対悪無(際)限反復超溶融不可
逆分裂生成廃棄物反処理場変換跡地》界わいからの《触発ファクタ-》】

『確かに消滅したものがある』と、この様に〈私〉は聞いた。(この表現は、以後省略す
る。)
『……〈様々な物〉という区分を持った記述がそこで可能になり、その記述とともにこれ
ら〈様々な物〉のすべてが同時に指示され名付けられたあの場面のことである。〈変換=切
断〉という出来事。』(〈私〉の友人のH・Mは、超年代物のアンチ・ビジュアル・蝿テレ
ビ[第七世代モニタ-虫]のディスプレ-を気安いカンヴァスにして、そこに気安くコラ
-ジュ[=簡易切り張り細工]していくのが趣味である。もちろん一瞬の出来事なのだが。)

 『〈公会堂〉のG-区画の中庭にできた裂け目の中へ見るにたえない奇怪なカンヴァスの
数々が投げ捨てられた。〈公会堂〉は裂け目の中で焼き払われ、すでに埋葬されたはずの画
家たちは、新たに〈公会堂〉を占領した極度に退屈な人々――言い換えれば、旧暦通称《飼
育管理者たち》を使って裂け目を広げた。』

『それ故、《歴史》という場面による補完が要請された。言い換えれば、新たな主題とな
った見えるものと見えないものの〈関係〉への問いかけが、あの古びた場面に歪みと亀裂
をもたらし、ついには崩壊させた。陳腐なかつての絵画の代わりに、一見〈生き生き〉と
した、《大いなる歴史》の誕生……。』(ところがH・Mのコラ-ジュは、いつ見ても実に情
感豊かなのだ。ディスプレ-の表面に描かれた黒猫のものうげな琥珀色の瞳を、〈私〉が思
わず喜びにふるえながら熱く抱きしめてしまったほどに。)
『これら極度に退屈な人々は残酷きわまりないディスプレ-に登場した後でこのディス
プレ-とともに飢餓状態に陥った後で笑ってみようとした後で……しようとした後でしか
たなく退屈な気乗りのしないこれら〈のっぺり〉としたがらくたの様な調子よく壊れたゴ
ミ処理場に散乱したハエ同士の複雑かつ待ち遠しい化学反応の予期しなかった退屈さ……
調子よく壊れたゴミ処理場にしようとした……後で「インタビユ-する人は、いつも私に
言いたいだけのことを言い、そして私は彼らの後にそれを繰り返して言うだけのことにし
ている。――アンディ・ウォ-ホル」 従って、調子よく壊れたゴミ処理場になってしま
ったこれら恐ろしく退屈な人々もまた真に革命的で反革命的なディスプレ-になんとなく
登場した後で〈へらへら〉笑いながらなんとなく沈黙した後で避けがたい超-飢餓状態=
おいしそうな廃棄物への永遠の欲望はいつまでも加速されていった……。』

『あらゆる〈出来事〉はその都度隠され、〈見えないもの〉となった。〈我々〉はついに
〈出来事〉への接近をあきらめる。それとともに不意をつきながらやってくる〈外〉の力
によって、〈我々〉は強制的に囲い込まれ、いたるところが《占領地》となった。つまり、
そこには打ち勝ちがたい重力にみちた〈知〉の領域が形造られていったのだ。』(と、この
様に書き留めながら、〈私〉はすでに完全に水没した芝浦の作りかけ放置倉庫内で出逢った
《若い娘=X》が昨夜糸巻きマニュアル沈黙電話ゲ-ム[こんなC級植民地ではめずらし
くもないアラミス-MX7]で話したある言葉を思い浮かべているのである。〈私〉はプラ
ゴドゥ-ル・ビアと菊姫大吟醸を豚足のテンプラの溶融破片とともに一度に飲み干し、と
りあえず彼女に沈黙電話をかける。すると、驚いたことにそっくり昨夜と同じ言葉だ。)

『先週からなんとなく生産された超-飢餓状態のこれら退屈な人々はあらゆる側面から
考慮してみてもまったく焦ってはいなかった様にどこかで思われていた様だがひょっとし
て今やどんな〈逃走=裏切り=ほんの冗談〉も不可能になっていたのではないだろうかと
いうある潜在的な了解事項がほぼ完全に共有されているのだという極秘の前提のもとに一
切の規則の最終的で〈背進=背信〉不可能なその意味でまさに端的な根拠それ自体が存在
しているはずであり厳密に単にそれだけが彼らの驚くべき退屈さと恐怖と戦慄不安のコロ
イド状態を究極的に分析し解明し尽くすはずだとごく一般的な観測あるいは広汎に流布し
ていたある見解またはただの噂によれば信じられていたのだったが実際にはそれどころで
はなくむしろ問題の超-飢餓状態は……。』

『こうして、語ること、そして語られたものの《歴史》をある《管理回路》が見えない
規則に従って生産し始める。そしてありとあらゆる退屈な噂が急速に広がっていった。例
えば歴史を貫いて変わることのない〈我々〉という噂。まったく〈誰〉もが思わず赤面し
てしまうほどに陳腐な話であって、信じがたいようだが、実はそんな噂はまだ終わっては
いないのだ。故に、〈私〉は極度に退屈である。Q.E.D.[証明終わり。] ――だが、
この《歴史》の舞台で展開された〈光景〉は一体どのようなものだったのか? 一体〈誰〉
がそれを〈見た〉のか? そこでは、〈出来事〉がどうしても〈見られたもの〉と出逢えな
かったのだが、いつしか〈出来事〉は〈見られたもの〉と癒着し、それに取り込まれて死
んでいった。そして、見えるものと見えないものという区分がそこに根づき、この区分を
生産し続けてきた装置への抵抗がついに為されようとするたびに……。』(今〈私〉がたま
たま目にしているアンチ・ヴイジュアル・蝿テレビのスクリ-ンの裏側に凍り付いたよう
にセットされている治療蝿は極度に退屈そうである。治療すべき蝿テレビの〈病状〉が見
あたらないのだ。他方、この治療蝿自身の〈病状〉に対する治療は一切約束されていない。
だが、この治療蝿は、自分の〈病状〉の〈病識〉が欠けていることを〈自覚〉しているの
だ。[「なぜ〈私〉はこんなに賢いのか……。――ニ-チェ。」] そのことの隠された、あ
るいは明白な〈意味〉を考えると〈私〉はいたたまれない気持ちになる。いつになく不気
味に静まり返った蝿テレビのスクリ-ンの上にH・Mのコラ-ジュをさらに重ね合わせる
気にもなれないほどに。ふと気づくと、コントロ-ル・ユニットはなぜか黒く焼け焦げて
しまっている。だが、それを〈気にする気〉にもなれないほどに……。〈私〉はとりあえず
H・Mに電話をかける。)

『問題の超-飢餓状態との明白な〈因果関係〉をどうしても立証できないとの結論が下
されたことは決してゴミ処理場の愉快でとにかく待ち遠しかった無数の散乱-産卵する超
-巨大バエ同士の化学反応の極度の退屈さの第一次的な〈原因〉とは言いきれなかったば
かりかむしろこれら無数のかわいい超-巨大バエどもがすでに包み込んでいる超-猛毒性
キャンベル・ス-プの退屈な美味しさに限ってはせひ喜んでと今やいたたまれないほどの
超-快楽に思わずふるえながら……(無論こうした〈ふるえ〉こそ、残酷にもふるえる当
事者自身がその〈因果関係〉の立証を課せられたあの〈病状〉であったのだ。)』

   …………………………………………………………………………………………………
……

『しかし、結局は一連の問いかけがあらかじめ完全に封じ込められたことによって、〈見
ること〉はもはや誰も手に負えないほどの暗黙の戦慄にみちたものとなった。つまりこの
〈誰か〉は消滅を余儀なくされ、以後決して〈ありえない者〉、〈あってはならない者〉と
なった。とにかくその筋の者たちにとっては待ち遠しかった《超-大量虐殺》の開始であ
る。』(この間あらためて残骸になった中央防波堤特設市場裏手の一杯飲み屋『沈春』で〈見
た〉絶対的に反-退屈的な映画『デナリ・チェンチ』の最後の〈光景〉は、桂花酒に酔っ
ぱらったデナリの目もくらむような華麗なねじれダンスの渦巻だった。もっとも、〈私〉を
のぞいて誰一人その華麗さに気づかなかったのは改めて言うまでもない。『沈春』からほど
ない旧暦通称〈偽装トラック墓場〉にたたずみ、鋭い琥珀色に輝くシンハ・ビア[その辺
りではなぜかアンチ・ポルポト割りと呼ばれていたが]にみたされたドラム缶を傾けなが
ら、〈私〉はとりあえずデナリに電話をかける。)

『(デナリに代わって別の誰かの声)……だが言うまでもなくこれらのたとえようもなく
誠実な〈超-快楽巨大バエども〉が日夜訓練に訓練を重ねつつ極端なまでに健全で非のう
ちどころのない増殖を続けているわけでは決してないのであってそもそも一般にハエとは
ほんの徴候的な輝ける退屈さのきっかけに過ぎないのであるから当初はほんの冗談から必
然的に焼き払われ埋葬された〈公会堂〉の占領者たちのいまだに繰り返される驚くべき瞬
間退屈蒸発………』

『結局、思考の経験を閉ざす暗闇からなんとか逃れようとする試みもすべて、常に同じ
〈囲い込み〉を繰り返し続けてしまうという無気力さに誘うプロセスがだらだらと展開さ
れることになる。だが、この〈だらだらと〉もついにはそれどころではなくなってしまう
のだ。いたるところで〈我々〉の想像を絶する悲鳴が聞こえてくる。(「〈誰か〉助けてく
れ。俺はもうダメだ……。」) 死か発狂か?永遠の退屈かそれとも死か? 無論逃れるす
べはない。そしてこの際限のない恐怖の《管理回路》から〈我々の生存〉が絶えず分泌さ
れてくる。つまりそれは、終わりなき問いかけの残酷な標的であり、この問いかけの外で
は……』(ところで、今朝〈私〉はあの〈公会堂〉の区分G-N1に糸巻き無言電話をかけ
てみた。[――しばしの沈黙。] 問題なく通じた。〈私〉は驚かなかった。すでに気づいて
はいたのだが、あの治療蝿の微小[あるいは微笑]距離接近遭遇タイプのマイクロ・チッ
プが、糸巻きマニュアル無言電話に張り付いて、沈黙の中で投げかけられる〈私〉の言葉
をいちいち反復しながら得意げににやけている。〈私〉はと言えば、蝿テレビや〈私〉の〈健
康管理〉に余念がないこの治療蝿のセンサ-もなかなかのものだとほめてやるほど甘くは
ないのだが……。だが考えてみれば、この治療蝿によって〈私〉との間に瞬時に仕掛けら
れたワナとしての《共有回路》は、今なお全く健康そのものだったのだ。)

…………………………………………………………………………………………………
……

『あの〈公会堂〉の中庭の裂け目の中にはまり込んでいつしかものめずらしげに寄り集
まってきたそこらへんの住民に〈にこ-にこ-にこ-にこ-にこ-にこ-にこ-にこ〉笑いをばらば
らにばらばらばらまきながら〈いよ-いよ-いよ-いよ-いよ-いよ-いよ-いよ〉《超-快楽巨大バ
エ実験》をいつもの様にほんの冗談で始めた子供たちの傍らで全く信じがたいほどの退屈
さと超-猛毒性のたまらない快楽とをごちゃごちゃにごちゃまぜにした超-飢餓状態の飼
育管理者たちがいつまでもそわそわそわそわそわそわそわそわそうこうそうこうそうこう
そうこうしているうちにも到るところの街角で《あるもの=X》の接近は静かに続き〈公
会堂〉の近くのいつもの広場で訓練につぐ訓練につぐ訓練につぐ訓練につぐ《超-訓練》
を日夜絶え間なく反復していたほとんど血まみれの[……]が極度の発作に激しくあえぎ
ながら「あれ-あれ-あれ-あれ-あれ-あれ-あれ-あれ」と言うまにも〈公会堂〉の中庭の裂け
目がついに……』

『だが〈誰〉の生存なのか?』

…………………………………………………………………………………………………
……

(以後、〈私〉のもとに贈り届けられる《触発ファクタ-》にいきなり〈私〉が登場してく
るようになった。今日の午後、〈私〉は久世丸 癖麿とリキ・メイプルソ-プ・シャングリ
ア広場で久しぶりに出逢ったのだが、ちょうどその時以来のことなのだ。その晩、なぜか
〈私〉は癖麿を誘うことなく、ホテル『タマ・チェラス』地下の今は寂れた生体政治工学
実験用焼き鳥小屋で一人とりとめもなくふさぎこんでいた。生意気にも〈終末の十字軍〉
気取りでギムレットとカルヴァドスのクメ-ル・ル-ジュ・ポルポト割りをさりげなく飲
み干した親-治療蝿との〈共有回路=α〉が、鮮やかな血の色に輝く警告音を放っている。
今や明らかだった。〈私〉が書き留める〈外からの声〉に、なぜかあらかじめ《私=α》が
組み込まれてしまっているのだ。一つの運命が透明な影となって傍らを通り過ぎると同時
に、〈私〉の脳裏を微かに戦慄が走る。その時、警告音が突然見慣れない黄昏色の閃光を放
ち、〈共有回路〉はいったん切断されたかに見えた。本来は喜ぶべきところかも知れない。
だが、この予感は一体……。〈私〉はとりあえず今なおディスプレ-内部にとどまっている
と思われる癖麿を呼び出す。)

『(ディスプレ-の縁すれすれになぜか〈外からの声〉。それは、どんな《管理回路》に
も除去不可能な条件として組み込まれている見えない《亀裂/他者》、言い換えれば自己免
疫不全ウィルスからの《触発ファクタ-》だ。)―――見ることの宿す暗闇。だが、見せる
ということは? すでに〈我々〉は、自分自身を十分すぎるほど見せてしまっているので
はないか? しかしその時見ているのは誰なのか? そして〈我々〉とは? ……では、
〈私〉はどうなのか? 〈私〉が見せようと欲しているものは、決して見せることのでき
ないものであろう。〈私〉がわけもなく罠に落ち裁かれるとき、法廷で〈私〉は何を〈彼ら〉
に見せることができるのか? また裁かれるのが〈彼〉であるならばどうか? 〈私〉は
〈彼〉を、〈彼〉が望むように見ることなど決してできない。〈私〉は〈彼〉を、〈私〉が望
むように見ているのだ。残酷さにみちた喜びとともに。なぜなら、〈彼〉にはどうすること
もできないのだから。そしてもちろん〈私〉にも。なぜなら、〈私〉は〈彼〉を見ることに
よって、同時に〈彼〉を見失うのだから。それをどうすることもできはしない。黙ってい
ても、そしてそうするしかないのだが、すべて〈私〉の望むとおりにことが運ぶ。そして
この逆も言える。黙っていても、すべて〈彼〉の望むとおりにことが運ぶ……。すなわち、
常にお互いがお互いの予期を裏切る仕掛がここにある。こうして法廷は、いつしか《超コ
ントロ-ルの空間》へと移行していく。《私=ウィルス》が被告なのか(見られているのか)、
つまり〈彼〉が《私=ウィルス》を見ているのか、それとも〈彼〉が被告なのか、つまり
《私=ウィルス》が〈彼〉を見ているのかもはや分からない。〈私〉と〈彼〉は決して出逢
うことはないのだが、常にお互いがお互いの背後にいるのだ。(無論そのことを確かめるこ
とはできないが。) ……《超コントロ-ルの空間》においては、さまざまな運命の尺度が
違和感にみたされた血液となって〈我々〉の身体を流れ始め、その結末が一切見えない未
完のプロセスが密かに溶解していく。訴訟=過程。それとも大げさな言い方をするなら、
〈私〉は〈彼〉を見ることによって、〈彼〉の〈存在〉をなんらか与えてしまうのか? も
しそうなら、一体どの様な〈存在〉を、そしてどの様にして? 例えば、これは最悪の場
合だが、〈私〉は〈彼〉を憐れんでしまうかも知れない。言い換えれば、あくまでも〈見る
者〉として、それが何であれ、いわゆる《生》を〈彼〉に与えてしまうかも知れない。い
くらなんでも、この〈私〉に限って、こんなことは全くありえないように見える。……だ
が、もし〈私〉が罠に落ちたならばどうであろうか? あるいは常に罠に落ちざるをえな
いのだとすれば? 例えば、〈彼〉は〈私〉にただそこにいることを確認されるだけで、そ
の都度常に〈私〉に隷属してしまうという仕組みだ。その時は、〈私〉も〈彼〉に隷属して
しまうだろう。最も内密な恐怖。「それでは、いいですね。いつもの様に……。」 目に見
えない、そして決して聞かれることのないパス・ワ-ド。〈私=我々〉の想像をはるかに超
えた《超コントロ-ルのゲ-ム》がそこにある。……ゲ-ムだって? 〈私〉はそんなこ
とは語っていない。〈私〉にはどうしても〈それ〉が見えないのだ。だが、それが〈ゲ-ム〉
ではないのか? 同時に罠に落ちながらも、誰かが一つの賭をする。決して聞かれること
のない叫び。それは〈私〉を探し求めている。すぐそこにある〈問いかけ〉、つまり〈叫び
声〉は排除された。最も幼い者たちがあらかじめ消されたと言ってもいい。叫び声、それ
は決して聞かれることなく、いつも通り過ぎていく。〈私〉の最後の叫び。〈彼〉の最後の
叫び。いつもの〈光景〉の中で、いつもの様に通り過ぎていくこと。すなわち、ハイパ-・
コントロ-ル。余りにありふれた〈光景〉こそ、誰一人見ることのできない深く静かな恐
れをはらんでいる。こうして〈出来事〉は、〈光景〉の中で死ぬ。〈私〉は絶えず繰り返さ
れる訴訟を見ることによって、同時にそれを見失う。何者かに呼び出され、確かに裁かれ
る〈私〉はその法廷にはいないのだ。そして勿論〈彼〉も。なぜなら、その法廷はすでに
そこにはないのだから。もしそうであるのならば……。』(はるか彼方の砂漠で、最も内密
な笑い。)

《あるもの=X》は、〈公会堂〉の中庭の裂け目と遭遇する。

―――プロセスの切断面に《隙間/裂け目》を組み込むこと。
=抵抗(=きわめて微細な試み)
=〈出来事〉を創ること。

超-溶融壊滅区画バトゥ・タマン・コタ・チェラスの簡易公衆便所跡に突然出現した旧
暦通称《最後に暴かれた展示用シェルタ-》内にて。かつてC級植民地軍そのものを内部
から解体するゲリラとして〈我々〉のもとからその姿を消したパトリシア・イザベル・ロ
-ソンが、今や(恐らくは一時的な偽装であろうが)暗黒の剥製人形と化している。〈私〉
はその傍らに立って、とりあえずパトリシアをその耳もとにセットされた秘密の小箱から
呼び出す。
 『(別に驚くべきではないのだが、それは確かに〈私〉の声であり、それでいてなぜか明
日逢うはずのジェラ-ド・リュシアン・フロイドの声を巧妙にシミュレ-トしている。ジ
ェラ-ドは、まだ〈生身〉だった頃植民地軍内部に《ある秘められた致死性ウィルス》を
感染させる作戦の途上で誠実にも《不安の宗教の信徒たち》によってパトリシアとともに
処刑されている。)―――かつて〈部屋の外〉には、昼と夜があった。午後の青空の彼方か
らやがて静かに星の瞬きが降り注いでくるのを見た。……いや、違う。かつては〈部屋の
外〉などなかった。〈私〉はテラスに立ち、暗黙の了解と呼ばれる謎めいた領域に問いかけ
ていた。その領域は〈部屋の中〉だったのだろうか? 恐らくそうではあるまい。〈私〉は
〈部屋の中〉で誰かと暗黙の了解を共有していたわけではなかった。従って〈部屋の中〉
から出てきたのでもなかった。〈私〉はただそこにいただけである。……暗黙のうちに了解
されていたのは不安であると誰かが飽きもせず繰り返していた。だが不安という表現につ
いて問うなら、それはいつも〈同じ〉であることへの不安なのか? それとも、いつかは
〈同じ〉ではなくなることへの不安なのか? それともこれら両者の《雑種/混成》と化
してしまうことへの不安なのか? 一体〈誰〉が答えられるだろうか? 退屈きわまりな
い《不安の宗教》の(実は疑似)信徒たちは、この問いに対して無力にも沈黙を守ってき
た。それは〈除去できないもの〉なのである。 「――ソレハ、ダレモガキョウユウシテ
イルモノデアル。キョウユウサレタフアンハ、キョウユウサレタゲンソウデハナイ。」 …
…なるほど、では誰もが不安におののいているとしよう。その気はなくとも、いったんお
前たちの言うことを聞いてみるわけだ。だがそれで〈私〉にどうしろと? 〈彼ら〉が〈我々〉
を襲撃する前に、あらかじめ〈彼ら〉を殺せとでも? だが〈私〉には興味がない。「しか
し、あなたは、〈彼ら〉の憎悪、復讐、そして狂気を恐れないのか? 〈我々〉はあなたの
〈正気〉を、すなわち〈我々〉に対する〈誠実さ〉を疑わざるをえない。」 ……それはど
こかの永久誠実抱擁プロセシング・マシン(壊滅したC級植民地特有の手持ち無沙汰な飼
育者)たちの、あるいは誰一人目にすることのない〈何者か〉――だがそれが〈誰〉なの
かはいずれ明らかになるはずだ――を経由して感染してきたプログラムなのか? 
 「―――[規則GNX偽-高品位テレビのアンチ・エレガントな通常連続誠実《雑種/
混成現実》画像:](思わず苦笑しながら)そんなに大げさな話ではないのです。つまり実
に単純明快なことなのです。……あなたは《我々=すべて》に不安を抱かせた。いいです
か? 〈すべて〉にです。イイカエレバ、ダレモガフアンデイル。これで証明されました。
完璧です。(もっともその必要さえなかったのですが。ハハハハ。) 従って、あなたの犯
した誤謬、すなわち裁かれるべき罪はあまりに明白なのです。無論極刑に値します。しか
も、《ところで結局あなたは一体誰なのか?》という〈我々〉の哀れな飼育者たちの問いに
〈我々〉の満足のいく形で即座に答えることのできないあなたの素朴さと哀れきわまりな
い〈我々〉の飼育者たちの〈永遠のおののき〉を踏みにじるような残酷さをどうやって了
解しろというのですか? いいですか? 敵は迫っています。おぞましい〈クラゲ族〉(=
172ユニット+〈何〉と治療蝿3ユニットおまけ付き)の攻撃(例えば、プルトニウム・
ウィルスによる《雑種/混成現実》生成阻止管理回路の致死性感染)が〈今〉にも始まる
のです。すなわち、これは決して《ゲンソウ》などではなく、《ゲンジツ》なのです。この
様な状況において、全く驚くべきことに、あなたのそうした態度というものは、まさに傲
慢と無責任さの極みであり、〈我々〉(=172ユニット+〈何〉と治療蝿3ユニットおま
け付き)としては到底看過することはできないわけです。あなたはすでに無権利状態にお
かれています。言い換えれば、〈我々〉に保護されているともいえます。勿論あなたに〈治
外法権〉はありません。一般に〈我々〉はそうした野蛮なものを認めていません。それに
そもそもあなたは〈外部〉に所属しているわけではないのです。またお分かりの様に、〈亡
命〉も不可能でしょう。〈我々〉はいかなる太古の悪習も認めていません。暗黒時代は過ぎ、
羞恥心は洗練の度を増しました。言うまでもなく、〈弁護請求権〉もありません。言うも愚
かなことです。少なくとも五千年前の死語です。(嘔吐のただなかの沈黙。) それどころ
か、あなたがこうして通常の《審理過程=ほんの冗談》をかいま見ることさえできなかっ
たのも……」 (何らかの出来事により突然瞬間快楽蒸発。陶酔の絶頂で画像の歪んだ奥
行きの通常誠実回路に沿ってなかばひきつった笑い声がいつまでも続く。続いて画像その
ものも絶対誠実錯乱。〈彼ら〉が恐れていた〈クラゲ族〉の襲撃が始まったのか? C級で
あろうとなかろうと、占領軍の常として〈彼ら〉はいつも先に仕掛けるはずなのだが……。)』

実に空しい、そして興味深い場面。さしあたり、大脳皮質総合移植成型手術とより誠実
な画像解析処理能力が必要だ。(無論全く役にたたない対症療法に過ぎないのだが。) す
ぐ目につくことがある。テレビはボロである。不注意にも頭を半分ドロドログシャグシャ
につぶされたあの飼育管理者たちの様に、無数のボロテレビたちが目の前に空虚な姿で転
がっている。そして何よりも空虚な〈クラゲ族〉のオモチャ[ムカデ・スパイラル・ガン
――いったんプルトニウム・ウィルスに感染したある種の生き残りムカデは、ある鮮烈な
触発作用を及ぼす特殊なねじれ運動を半永久的に反復する。この種のねじれ運動に慣れる
ことがかなりの確率で絶望的に困難であるという飼育管理者たちの奇跡的な特異性を巧妙
に応用している]の群れ。何度この様な光景を彼らは飽きもせず繰り返してきたことだろ
う。愛する子供たちよ、お前たちに聞こう。〈彼ら〉は生まれてくるべきではなかったのか? 
この問いかけに一体〈誰〉が答えられるだろうか? もしそうである/ないのならば……。
(彼方の砂漠で、満ち足りた笑い声が静かに響く。)

【領域】
『(ここでパトリシアとのすべての連結回路切断。その時なぜか今は亡き「沈春」の若旦
那、劉沈春の声が聞こえる。)……今こそ、植民地軍に占領されて久しいあの〈公会堂〉を
奪い返す時だ……(だが若旦那の声はここでかき消える。代わってジェラ-ドの変わるこ
とのない〈反逆の同居人〉であり、対植民地軍ゲリラ仲間であるダニエル・ジョ-ジ・ダ
イア-の〈分身=補食者〉の声)……だが、今のところあらゆる領域で《画像》は無際限
な自己反復を続けている。それは《ディスプレ-》として分裂/分散し、遍在する。〈我々〉
はそこに生息している。ところで〈彼ら〉にとって、生体としての《我々の生存》そのも
のは、DNAが内包する超-微小振動のレベルで根底からコントロ-ルされた上で反復/
再生産されなければならなかった。しかも永遠に。そのためにこの《画像》はどうしても
必要だったのだ。(従ってそれは誕生した。) それは太古の、〈彼ら〉の遠い祖父母たちの
発明である。――遺伝子の反復系列を育てる。〈彼ら〉にとっては、〈他者〉の析出は不必
要であった。それどころか、それは全く余計なものであり、いては困るのだから(もしい
たとしても)あらかじめ静かに消すべきものである。その〈可能性〉をアプリオリに排除
するのだ。結局、論理的前提において消せばよい。〈彼ら〉にとって、《画像=ディスプレ
-》はその変わらぬ証明過程となる。(言うまでもなく、あくまで〈彼ら〉にとってのこと
に過ぎないのだが。) 一方、〈彼ら〉という集合体も様々である。ついさっきもちょっと
したテレビ局(〈何〉となつかしい言葉だろうか)で二つの集合体が、対消滅したばかりだ
が、それは同時に〈我々〉でもある。――やれやれ、秘密でも何でもないことを、つい沈
春の若旦那に打ち明けてしまった。ジェラ-ドよ、お前にはよく分かっているだろう。も
し《我々=彼ら》の《画像=ディスプレ-》がいまだに存在し続けているのならば、それ
は最後の時まで死に耐えることはないだろう。《画像=ディスプレ-》=ゼロ。すなわち、
無際限のコ-ティング。
ソレハナニモノデモナイ。
ナニモノデモナイ《あるもの=X》=ゼロ。―――あるいは、〈私〉=〈我々〉=ゼロ。』

 それにしても何でいまだにたったこれっぽっちのチャンネルしかないんだ? これで一
体何の役に立つっていうのあなた教えてほしい。そうだダニエルになんとかしてもらおう。
(ここでただちに〈外〉の声。「薄明の終末の預言者ダニエルならもうここにはいない。だ
が、もう一人のダニエルなら……」)



『(やっと〈私〉とH・Mのかつての共通の友人=旧暦通称「すでに姿を消して久しい〈彼〉
は結局〈誰〉だったのか――もしあの時なぜか生き延びたのであれば?」に沈黙電話が通
じる。)……買い物に出かける。消費の日々。〈私〉の最大の楽しみは買い物である。生き
がいであり気晴らしなのだ。(ここには何の矛盾もない。) 誰一人、〈私〉のこの行動を邪
魔することはできない。このことがすでに〈私〉の喜びである。〈私〉の自由がそこにある。
かけがえのない時間。時間とは、〈私〉にとっては《買い物という感情》そのものである。
現に生きているという感情。(すなわちコギト。)そしてその感情のさなかで酔いしれなが
ら、やがては知らず知らずのうちに溶解してしまい、あとかたもなくなってしまうものな
のだ。時には静かな喜びであり、また時には熱狂の渦である。充実はしばしば狂気を求め
る。自己-救済。そして解放だと言えばおおげさだろうか? しかしそれに対する一切の
反逆を不要にするものが〈自由〉でなくて一体何が〈自由〉なのであろうか? 〈私〉に
とって、自由とは幸福である。幸福の感情。それは感情なのであり、〈私〉の場合それこそ
が《買い物という感情》なのである……。だが、これほどまでの情熱を抱きながら、〈私〉
は一体何を買うのか?そもそも、買い物とは〈何〉であろうか? (〈私〉はあのちょっと
したテレビ局裏手の今のところ謎めいた「ハラス商会」の事務所=簡略には「ハラス事務
所」の傍らでふと立ち止まる。) もちろん〈私〉には分からない。考えたこともない。確
かに、この買い物なしには、遅かれ早かれ〈私〉は死ぬだろう。生活は崩壊する。発狂か
病気かあるいはそれらの溶融ジパング・ヌ-ドルか? ……しかし、〈私〉は買い物という
訳の分からない〈何か〉を消費しているだけかも知れない。不安がふと心をよぎる。だが
〈何〉であれ、試してみる勇気はない。さらに、この買い物そのものが〈私〉自身の消費、
あるいは死に近い〈何か〉をしだいに招いてもいるのである。ここに壁ができてしまった。
例えばあの「ハラス事務所」には店員が多すぎる。すなわち、実際には一人もいないあの
〈人々=店員〉のことではなく、事務所のカウンタ-にもさりげなく置かれているドロド
ロになったホワイトチョコの泡だった表面にねばつきながら連結され、目に見えない速度
ではいずり回っている極小モニタ-粒子のことだ。つまり、なぜかと言えば、常に〈彼ら
=X〉にねばつかれている。日々のサ-ビスである。これらゼロ/不在の店員たちはいわ
ばオトリであるが、それでもやはり時には強制執行にも出てくる。今度はあらわな(=目
に見える)サ-ビスである。今日も子供が一人事務所二階の踊り場でささやかな「お楽し
み会」の練習のために踊りかけただけで無理矢理レトロちりめんス-プを体中の穴という
穴から吸着させられたあと絶対無限監禁された。(すなわち、〈店員ごっこ〉に晴れて参加
できるのである。) それは何と、先週の土曜日の午後〈私〉のいきつけのキャッシュカ-
ドコ-ナ-の展示用ミニチュア見本「ハラスがすべて」内部で陽気にはしゃぎ回っていた
あの愛くるしいフリスコ坊やではないか! 今思えば、すでにあの時坊やは極小モニタ-
粒子の〈最後の警告〉を受けていたのだった。子供たちの笑顔と未来は、決して与えられ
たものではない踊りと叫びとともにある。それがまず消されるわけである。いつもの様に、
そこに笑顔にみちたサ-ビスがやってくる。例えば擬フリスコ・マラケシュ銀行のキャッ
シュカ-ドコ-ナ-でありもしない金をおろす=借りる時と同じサ-ビスなのだ。〈そこ〉
には〈何〉もない。〈ゼロ/不在の〉コントロ-ル空間。人々の沈黙。明るい部屋。その最
も希薄な、そして滑らかな空間にこそ、完璧なコントロ-ルが絶えず成立する。それが
〈我々〉の領域である。最も希薄な空間=ホワイト・ホ-ル。(あらゆるブラック・ホ-ル
でさえ、そこに包み込まれているのだ。) アプリオリに可能なものとされた《不可能性の
経験》がそこにある。言い換えれば、あらかじめ常に定められた挫折。熟考がどうしても
必要になる。しかし〈私〉はその壁をどうしてもつかめない。ここでは〈私〉はクラゲ以
下である。もし幸運にも〈私〉がクラゲであったなら、その都度の領域で必要な最小限の
認識=生存を手にいれることができただろう。だがここではそれこそが〈不可能なこと〉
なのだ……。この〈ヌルヌルツルツル〉とした壁との戦いにおいては、〈見続けること〉と
いう謎にみちた営みがいつしかどうしようもなく〈ベトベトねっとり〉になってしまうの
だ。それは、散乱する数知れない腐乱死体のただなかで、絶えず最悪の危険を冒しながら
腐敗していくということだ。それでもなお、この営みが〈私〉をいつもとは違った領域へ
と導いていくのかどうか。―――それはその都度一度限りの〈実験〉なのだ。』

この〈実験〉で賭けられているもの、それはZeroとZero-αとの差異だ。

『(この〈実験〉が、あのクレストン・ハイライズ・パインクレスト・スクウェアの戦い
で命を落とした特殊工作/耕作コマンド旧暦通称「ウェスト・ウェスト伯爵夫人の体内に
密かにセットされたもう一人の分身=X」の沈黙=声によって贈り与えられる。)――食べ
る。食べてしまう。食べない。食べたいが食べたくない。ディレンマ。食べたい。だが食
べれば恐い〈病気〉になってやがては死にいたる(に違いない)。アンチノミ-。あるいは
死にいたる(に違いない)病。これが〈私〉の日々の生活である。食べる。食べなければ
死ぬ。しかし食べれば死にいたる(に違いない)。〈私〉は食べ、かつ食べない。ほとんど
際限のない苦しみ。こうしている間にも、退屈で不気味な生化学反応は続く。致命的。シ
ンドロ-ム。だがそれは決して見えない。見えない苦しみ。〈私〉の全財産を投げうってや
っと手にいれた超-年代物極小モニタ-粒子の横流れ品も全く役に立たないのだ。何とい
う愚かさ。少なくともまだそれは見えない。だがいつか……。結局〈私〉はどうすべきな
のか? あるいはどうすべきではないのか? 分からない。いたたまれない日々。そうだ
気晴らしに映画に行こう。だが……映画をそこで見なければならないその場所……は何と
〈隣の部屋〉なのだ! 〈隣の部屋〉とは、例えばそこがバスで10分、電車で20分、
地下鉄で三つ目の街角であったとしても、当然の様に同じ生化学反応の影が漂い、生と死
の、例えば呼吸と反-呼吸のディレンマが無限に反復されるその場所のことである。すな
わち、実に退屈な場所である。もはやそこへ行くことはないだろう。これでまた死に一歩
近づいたことになる(に違いない)。しかしその自覚はない。目に見える、あるいは体に感
じる自覚症状はないのだ。だがそこにムズムズイライラした苦しみがある。それにこの街
にはどこにも高貴さがない。よって、〈私〉は常に奴隷である。〈隣の部屋〉を際限もなく
たらい回しにされている。それにしても、たかが映画を観ることにおいて感じるこの苦痛
は一体何なのか。やたらに人が多すぎるということでもない。そんなはずはないではない
か。〈私〉の部屋ではないにしても、そこは〈隣の部屋〉であり、(恐らくは)〈私〉だけが
際限もなくたらい回しにされているのだから。だが実を言うと、昔から気になってはいた
のだ。気になっていたと言ったが、実はそんな生易しいものではなかった。誰かにそのこ
とを話せばよかったのではないか? その〈誰か〉を、(《ウィルス・ネズミ》ではなく)
求め続けるというのだろうか? (《ウィルス・ネズミ》ならあの街の舗道の片隅で毎晩見
かけた。一度に数匹ずつだ。残飯でふくれたポリ袋を夢中で食い破っていた……。そんな
わけで、一般に〈私〉は《ウィルス・ネズミ》とは馴染みの仲である。) 
 それにしてもその〈誰か〉は、一体この〈街〉にいるのだろうか? それともかつてい
たのか? この問いがそこへと向けられているある場所。〈そこ〉がどこなのか……。〈私〉
には分からない。とにかく、すぐ〈そこ〉なのだ。だがしかし、そのすぐそこが〈私〉に
は分からなくなってしまった。〈私〉にとっての〈すぐそこ〉……。そのすぐそこに誰がい
るのか? あるいはいたのか? (ここで〈外〉の声がそっとささやく。「昨日久しぶりに
立ち寄ったサテンで、18ぐらいの男が彼の彼女に向かってこう言った。――死ぬときに、
何のために生まれてきたのか知りたい……」) 
 いいかげんに、このことをはっきりさせよう。なぜなら、誰に隠していたわけでもない
のだが、〈私〉はすでに病に冒されている。何らかの病気ではない。よって病気を直す医者
が必要なのではない。そうではなくて、ごくありふれたことである。日々の生活の仲で、
要するに〈病〉に冒されてしまったのだ。つまり、それはあくまでも〈私〉の発明である。
(だからこそ、それは〈我々〉にとって〈病〉と呼ばれる。) つまり……絶えずディレン
マのただなかで生きる。話したい。だが決して話せない。(もし話せば……。そしてもし話
さなければ……。) なぜ話せないのか? 何がどうなってしまうのか? このままでは生
きていくことができなくなってしまう。(「――驚くべきことに、お前はそれでもまだ〈そ
こ〉にいる。お前はなぜ〈そこ〉にいるんだ? 〈そこ〉が一体〈どこ〉なのか、もしお
前が知ったとしたら……」)
 ――分かっている。それだけは。〈そこ〉では〈私〉はもはや〈人間〉ではないのはもち
ろん、〈患者〉でさえない。つまり、それはあくまでも〈私〉の発明である。確かに仕組ま
れてはいるが、同時に〈自然発生的〉な治安部隊(極小モニタ-粒子)がそれぞれの〈隣
の部屋〉にいる。極小モニタ-粒子が徐々に浸透した〈私〉の子供たちが、いつしか〈彼
ら〉の〈仲間〉を一人ずつ捕獲し、楽しく料理していくのだ。(……今や極小モニタ-粒子
は、〈私〉の子供たちでもある。) ……こんなことが、まだ何一つとして語られてはいな
いのか? だが……。
 とりあえず分析が必要だ。決して話さないこと。そして話せないこと。それは沈黙だろ
うか? だがその沈黙は聞かれていない。まだそれとの十分な距離がない。話せないこと
と話さずにはいられないことの狭間で苦しんでいる。気がつくと、伝達はもはや思い出せ
ないほどとうの昔に失われていた。最初に戻ろう。(だが無論〈最初〉はない。) ――〈私〉
は生まれた。〈私〉はその都度特異な言葉を学び(例えば《ネズミ》など)、そして同時に
その言葉を、ありふれたこと、平凡さそのものとして学んだ。(しかしこれらのことは今や
少しも確かなことではない。) 特異な言葉は、その都度かけがえのない、生き生きとした
経験のうちに棲みついていた。(久しく《ネズミ》たちは姿を消していたが、今や《ウィル
ス・ネズミ》となって再び〈我々〉のもとへ登場してきたのだった。) 
だが、このことももはや確かなこととは言えない。実は〈私〉は決してこれらの言葉をあ
りふれたこと、平凡さそのものとして学んだのではなかった。何ものも〈私〉にこのこと
を証明しない。ただ、ある時これらの言葉を他人に伝達するという〈不可能なこと〉を突
然強いられたのだが(それがいつなのかは分からない)、その時、誰にとってもありそうな、
ありふれた経験という《不可能なもの=X》がいつかどこかに生まれてしまったのだ。(し
かしそれは、いつでも、そしてどこでもない。) それは、伝達の可能性の条件である。(よ
って《不可能なもの=X》の誕生そのものは可能であった。だからこそそれは《あり得べ
き経験》と呼ばれる。) ところで、このことはまぎれもない〈出来事〉なのだろうか? 
〈私〉?に到来した特異な経験なのか? それとも……。いっそ冗談まじりにこう問いた
くなる。「――この誰にとってもありそうな、ありふれた経験を〈創造した者〉は誰なのか? 
それが〈私〉ではないとすれば? それともそれは《ウワサ=X》なのか?」
 ……その〈創造主〉は、致命的な伝染病を蔓延させるあの《ウィルス・ネズミたち=X》
だったのかも知れない。そしてそれはすでに〈私=我々〉の食物を支配=コントロ-ルし
ているのではないか?支配=コントロ-ルされた食物は〈私=我々〉の自由を奪う。「とこ
ろでその食物はすでに感染しているのか? お前は、それを見、それを聞き、それを感じ
たのではなかったのか? ――〈私〉には分からない。恐らくは、永遠に。」 ところで話
し言葉は、そして書き言葉も〈食物〉である。食物連鎖=悪循環。もし〈私〉には馴染み
深いあの《ウィルス・ネズミたち=X》が途方もない伝染病を蔓延させ、大地を汚染させ、
食物を腐敗させているのだとすれば……。
 思い起こしてみよう。〈私〉にとって、かつてあれほどまでにありふれたものだった経験
を。《ウィルス・ネズミたち=X》は、食物連鎖の集団的言表の隠れた主体=Xではない。
〈私〉は確かにそれがあの真夜中の街路、人々が絶え間なく通り過ぎていったあの街路(例
えば、Dogenzakaコタ・バトゥ・セランゴ-ルホテル脇)に繁殖しているのを見
たのだから。来るべきその時を待ちながら、それは今も際限なく増え続けているだろう。
耳慣れた(ものとして聞こえる)〈音-声〉は決して止むことはなかった。繰り返される楽
しげな声が、夜の闇の断片に反響するのが聞こえていた。人々は常にそれを聞いていた…
…。
 やがてその街は、《ウィルス・ネズミたち=X》に埋め尽くされるだろう。それは間違い
ない。消すことも、押しとどめることもできないもの。だが他方、《ウィルス・ネズミたち
=X》は〈私〉の、そして〈彼〉あるいは〈彼女〉のその都度の言葉と絶えず絡み合い、
それに紛れてしまった。(いつしか、しびれる様な誘惑の波が押し寄せてくる。) だが、
〈私〉はそれを見なかった。〈私〉はそれを聞かなかった。〈私〉はそれを感じなかった。』 



 それがどの様な領域であれ、それぞれの領域で繁殖し続ける《ウィルス・ネズミたち=
X》。
  ―――それは《Zero-α》をその都度〈無と同化したZero〉として提示する
ものなのだ。

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